2008年08月20日

円谷幸吉選手を思い出す。

円谷幸吉選手を思い出す。

オリンピックの番組は運動オンチの私としては
あまり気をいれてはみていない。

女子マラソンだけは、違う。
待ち構えて、最初から最後まで見た。

ただ、オリンピックの番組があまりに番組表のほとんどを埋めているので
ついついみてしまう。

先日、なにげに見ていたら、劉翔選手が障害物競走に出る場面にばったり遭遇。
まったく知識がなく見ていたが
中国○○万人の期待を背負い とかなんとか
すごい数の人の期待を担っていることを
キャスターがしゃべっていた。

そして、スタート。
即、走れなくて棄権。

・・・・・・・・・・・・

期待があまりに大きすぎて
恐い。


期待の重さ


1964年(昭和39年)東京オリンピックのマラソン選手
円谷幸吉(自衛隊)選手を思い出す。

彼は28歳で自殺した。
衝撃的だった。

歌があった。
メロディーと歌詞が何度も頭の中をぐるぐる繰り返される。

ネットで調べたら出てきた
ピンクピクルス「一人の道」


ある日走ったその後で僕は静かに考えた。

何のために走るのか、若い力をすりへらし
日本のためのメダルじゃない。生きる力の糧なんだ。

父さん、母さん、ごめんなさい。
ぼくはもう走れません。









この記事へのコメント
円谷選手の背負いきれない思いを考えると、悲しくてたまりません。

当時の映像がでると、やはり辛くて泣いちゃいます。
Posted by ラピス at 2008年08月20日 11:49
ラピス さま

哀しいですよね。
泣けちゃいますよね。
Posted by 自由席 at 2008年08月20日 16:28
若かったあの時思ったものです。
あの42.195キロの苦しさに勝てたのに・・・
なぜ?と
Posted by 郁ばあば at 2008年08月20日 21:41
時代は移り 北島康介の様な素晴らしい若者が生まれたよ!
日本はやっぱり強いよ!!
Posted by まゆみ at 2008年08月20日 21:52
郁ばあば さま

なぜ?ですよね。
ネットで調べていたら遺書もでてきました。

胸がしめつけられます。
Posted by 自由席自由席 at 2008年08月20日 21:56
まゆみ どの

いつの時代も
まばゆい光の部分と、長く尾をひく影の部分

両面があるのでござるよ。
Posted by 自由席自由席 at 2008年08月20日 21:58
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円谷幸吉選手を思い出す。
    コメント(6)