2009年06月28日
劇団マグダレーナ「防空壕」を見に・・・・。

劇団マグダレーナ
第53回公演
「防空壕」 作・演出 大西恵

チラシのコメントに
戦争を語りすぎることはない
なんでこんな悲惨なことが
戦争の怖さ、悲惨さを語り続けること
今回の公演には、小学生の子が2人出ていた。
とてもはっきりした声で
すばらしい演技だった。
地元の劇団に新しい命が吹き込まれた。
先日のエルダーキャッツにも小学生が
参加していた。
なんだか、うれしい
どんどん増えるとどんなにいいだろう。
Posted by 自由席 at 22:32│Comments(2)
│おでかけ
この記事へのコメント
やぶのオヤジ殿は、戦前現在の市立美術館付近に住んでいたそうだ。
オヤジ殿がよく言っていたのは、空襲の翌朝、高松駅から栗林公園が見えたこと。井戸に家財道具を沈めていたのにその井戸に爆弾が命中して…幸い家族に犠牲者は出なかったけど、持ち物が骨だけの乳母車のみになったこと。
戦後3か月で父親を失った理由は言ったことがなかったけど、たぶん一因は食べ物がなかったからだろう。オヤジ殿は旧制中学を卒業できず、4年修了となったが、いろんな仕事をして生き延びた。そのうちなぜか公務員になり、そうかと思うと資格取って事務所を構え、人様から「先生」と呼ばれるくらいの仕事をするようになったのは、昭和40年代に入ってからかなあ。
あんまり親孝行できなかった、喧嘩も良くした、でもエライとは思っていた。
オヤジ殿がよく言っていたのは、空襲の翌朝、高松駅から栗林公園が見えたこと。井戸に家財道具を沈めていたのにその井戸に爆弾が命中して…幸い家族に犠牲者は出なかったけど、持ち物が骨だけの乳母車のみになったこと。
戦後3か月で父親を失った理由は言ったことがなかったけど、たぶん一因は食べ物がなかったからだろう。オヤジ殿は旧制中学を卒業できず、4年修了となったが、いろんな仕事をして生き延びた。そのうちなぜか公務員になり、そうかと思うと資格取って事務所を構え、人様から「先生」と呼ばれるくらいの仕事をするようになったのは、昭和40年代に入ってからかなあ。
あんまり親孝行できなかった、喧嘩も良くした、でもエライとは思っていた。
Posted by やぶくん
at 2009年06月29日 00:22

やぶくんへ
そうですね。あまり、戦争について語る機会もなくなりましたね。
私が子どもの頃は、戦地の話とか聞くこともあったけど
そういう体験をされた方もどんどんいなくなって・・・・。
今回の公演では、子ども2人の演技が
光っていました。
そうですね。あまり、戦争について語る機会もなくなりましたね。
私が子どもの頃は、戦地の話とか聞くこともあったけど
そういう体験をされた方もどんどんいなくなって・・・・。
今回の公演では、子ども2人の演技が
光っていました。
Posted by 自由席 at 2009年06月29日 17:22