2009年10月01日
東海村JCO臨界事故から10年
朝のニュースで東海村で発生したJCOという会社で
発生した臨界事故から10年というのが流れていた。
もう遠いことのようになってしまっていたが
まだ10年なんだ、と思った。
1999年9月30日
あのときのニュースの様子は
覚えている。
夜のニュースだったが
発表している担当の多分原子力行政に関わっておられる
エリートの方だろう。
臨界事故が発生しました・・・ → ウィキペディア
そのときのすごく緊張した
空気が伝わってきた。
震えていたような
なんのこと?????
臨界?って
とにかく原子爆弾が落ちたと同じ
規模が違うにせよ。
なんかバケツで作業していたとか
すごく原始的な方法で、というのがすごく
印象に残っている。
その作業をしていた作業員らが搬送される様子も
最近のインフルエンザ対策をしている人たちどころではなく
搬送されている人は何かに包まれつつまれ覆われ
搬送している人も物々しかった。
近隣の道路、鉄道もストップ
どうなるんだろう?
という不安な気持ちになった。
忘れてはならないし、二度と起きてほしくない。
発生した臨界事故から10年というのが流れていた。
もう遠いことのようになってしまっていたが
まだ10年なんだ、と思った。
1999年9月30日
あのときのニュースの様子は
覚えている。
夜のニュースだったが
発表している担当の多分原子力行政に関わっておられる
エリートの方だろう。
臨界事故が発生しました・・・ → ウィキペディア
そのときのすごく緊張した
空気が伝わってきた。
震えていたような
なんのこと?????
臨界?って
とにかく原子爆弾が落ちたと同じ
規模が違うにせよ。
なんかバケツで作業していたとか
すごく原始的な方法で、というのがすごく
印象に残っている。
その作業をしていた作業員らが搬送される様子も
最近のインフルエンザ対策をしている人たちどころではなく
搬送されている人は何かに包まれつつまれ覆われ
搬送している人も物々しかった。
近隣の道路、鉄道もストップ
どうなるんだろう?
という不安な気持ちになった。
忘れてはならないし、二度と起きてほしくない。
タグ :東海村JCO臨界事故原子力事故