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Posted by あしたさぬき.JP at

2009年07月30日

いきなり藤原監督から電話が・・・




夕方、携帯電話に電話がかかってきた。


市外局番が見慣れない番号


誰?


「もしもし、藤原ですが・・・・」


なんと、「シロタ家の20世紀」という映画を撮られた
映画監督の藤原智子さんだった。


もう、ドキドキ。


藤原監督といえば、もう、私からいえば
大御所中の大御所(もうわけわからんけど)


羽田澄子監督とかと同じ感じ
「平塚らいてうの生涯」2001年


娯楽映画部門ではない。きっぱし。


もぉ、緊張



オドロキ




  


Posted by 自由席 at 21:10Comments(0)映画ファン

2009年07月30日

20年経過・・・・

昨夜、友人と話すことがあった。


京都へ行ってきたとか。


「ちょうど20年経ったのよ。」


と、友人。


どうやら、昨日は京都(ワコール)へ下着の計測に行っていたらしい。


乳がんの手術をしてから20年経過。


「おめでとう。よかったね。」


満20歳。


彼女はずいぶん変わった。








  


Posted by 自由席 at 18:16Comments(0)一般知識

2009年07月30日

ヒロシマからのゲスト、松井洋美さんとのトーク




26日に開催した「平和を祈る映画と朗読の会」

広瀬多加代さんの朗読の後、
広島からゲストとして来て下さった松井洋美さんとの
トーク

松井洋美さんは、3歳で爆心地から3キロメートルの
地点で被爆

ご本人の記憶では
外で遊んでいたが、石の塀に隠れて直接
放射線をあびることがなかったのが
幸いしたと・・・・。

映画「千羽づる」の話になり
その当時、一つ年下の佐々木禎子さんが
原爆症で亡くなったことは
大変ショッキングな出来事だったとか。

原爆の影響などまだまだわからないことが
多く、しかも被爆して10年後に発病し、
半年ほどで亡くなったということ。

いつ自分も発病するか、という
不安にかられたとか。

そして、佐々木禎子さんたち原爆で犠牲となった子どもたちの
慰霊碑を建てるという募金活動を
同級生らが中心となって子どもたちの全国運動に
ひろがったこと。

松井洋美さんも
その街頭募金活動に参加したとか。





最後に
広瀬多加代さんは
戦争で犠牲になるのは、子どもたちや女性や弱いものたちなど
兵士だけでなく一般の人たちのその割合は
どんどん増えていっていると、警鐘をならし
トークをまとめた。